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Information&News

オフ補強情報▼

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  ■2015-16年 □2014-15年
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公示(1軍出場選手登録)▼

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  □過去分(2001年〜)

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観戦各種情報(チケットなど)▼

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Game schedule&Result

試合日程・結果▼

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Players data

年度別選手名鑑▼

  ■2017年
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  ※歴代在籍選手名鑑は下記

歴代在籍選手名鑑▼

新入団選手紹介▼

  ■2017年
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ドラフト・契約関連▼

トレード▼

  ■一覧
  □交換トレード □MLB挑戦(移籍)

FA(フリーエージェント)関連▼

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歴代外国籍選手▼

  ■一覧
  □投手 □野手

ヒストリー▼

背番号推移▼

  □背番号順
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歴代選手ランキング▼

  □投手成績 □打撃成績

Player Result

年度別個人成績▼

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交流戦個人成績▼

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先発ローテ一覧▼

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クライマックスシリーズ・個人成績▼

  ■2016年
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  □通算投手成績 □通算打撃成績

日本シリーズ・個人成績▼

  □2013年 □2012年 □2009年
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オールスターゲーム▼

  □ファン選抜選手 □出場選手
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ウインターリーグ派遣選手成績▼

  ■プエルトリコ ■アジア(台湾)
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Team Result

チーム成績(リーグ内)▼

  ■2016年
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年度別チーム成績▼

  ■一覧
  □勝敗表
  □カード別勝敗表 □監督別通算成績
  □投手成績 □打撃成績
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交流戦・チーム成績▼

  □成績一覧 □投手成績 □打撃成績

クライマックスシリーズ・チーム成績▼

  □成績一覧 □投手成績 □打撃成績

日本シリーズ・チーム成績▼

  □成績一覧 □投手成績 □打撃成績
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Data

契約更改▼

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開幕戦関連▼

公式戦開催球場▼

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東京ドーム(本拠地)関連▼

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キャンプ地▼

  □キャンプガイド
  □年度別一覧

Record

球団記録▼

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  □歴代・シーズン  □連続
  □試合  □イニング  □その他
  □初記録 □育成出身初記録
  □最年少最年長記録

個人球団記録▼

  □通算  □シーズン  □月間
  □試合  □連続etc
  □新人  □珍しい記録

記録達成選手▼

  □一覧
  ■2017年
  □2016年 □2015年 □2014年
  □2013年 □2012年 □2011年
  ■記録達成予報
  □三冠王達成打者
  □投手三冠王達成投手
  □サイクル安打達成打者
  □完全試合・無安打無得点達成投手
  □初打席本塁打
  □初登板勝利投手

Title

年度別タイトルホルダー▼

  ■主要一覧
  □MVP・新人王etc
  □投手部門 □打撃部門
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Farm(2軍)

2軍試合日程・結果▼

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  □一覧
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2軍ファーム日本選手権▼

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Farm(3軍)

3軍試合日程・結果▼

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3軍個人成績▼

  ■2016年

Futures(イースタンL混成チーム)

フューチャーズ試合日程・結果▼

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フューチャーズ登録選手一覧▼

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Roster

選手名鑑▼

  ■2017年
  □2016年 □2015年 □2014年
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  ■2017年
  □2016年 □2015年
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Player result

交流戦個人成績▼

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Record etc・・・

個人最高記録▼

  □通算 □シーズン
  □連続試合 □試合 □イニング
  □連続 □新人

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  □歴代・シーズン
  □試合
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FA関連▼

  □宣言選手一覧 □有資格選手一覧

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タイトルホルダー▼

  ■一覧
  ■2016年
  □2015年 □2014年 □2013年
  □2012年 □2011年
ポイントでお小遣い稼ぎ|ポイントタウン
ポイントでお小遣い稼ぎ|ポイントタウン

代表日程・試合結果▼

代表(候補)選手▼

個人成績▼

  ■通算
  ■プレミア12通算
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  □2009年・第2回WBC
  □2006年・第1回WBC
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  □2008年・北京五輪
  □2004年・アテネ五輪
  □2000年・シドニー五輪
  □1996年・アトランタ五輪
  □1992年・バルセロナ五輪

大会日程・結果▼

野球殿堂

NPB

このページでは、野球殿堂を紹介しています。


〜1999年・2000年〜
年度 表彰種別 氏名 かな氏名 顕彰文
1 1959年 特別表彰 正力 松太郎 しょうりき まつたろう 日米野球を成功させ巨人を創設
読売新聞社社長として昭和6・9年に米大リーグ選抜軍を招聘。9年の全日本軍を主体に大日本東京野球倶楽部「東京巨人軍」を創設し、11年には日本職業野球連盟発足へと導いた。戦後も(株)日本野球連盟取締役会長として草創期プロ球界を強力にリードした。民間TV放送の先駆者でもあり、プロ野球新時代を築いた。1885〜1969年
2 1959年 特別表彰 平岡 ひろし ひらおか ひろし 我国初の野球チームを結成
明治4年アメリカへ留学し、機関車両・機械類製造技術のほかベースボールを修得し同9年に帰国した。工部省鉄道局技師となり新橋停車場構内に仮運動場を設け、用具や規則書を輸入しユニホームを作る等我国初の本格的野球チーム“アスレチックス”新橋倶楽部を組織した。日本の野球の祖。1856〜1934年
3 1959年 特別表彰 青井 鉞男 あおい よきお 米チームを破った一高投手
1896年第一高等学校野球部投手として初めて外人チームに勝ち、よく後進を指導した。初めて野球規則を邦訳し野球近代化の途を開いた。1872〜1937年
4 1959年 特別表彰 安部 磯雄 あべ いそお 学生野球の父
1901年早稲田大学野球部を創設し次いで第一回渡米を敢行す。以来一貫して学生野球の育成に努め「学生野球の父」と仰がれる。1865〜1949年
5 1959年 特別表彰 橋戸 信 はしど しん 都市対抗野球大会を創設
1905年早稲田大学野球部主将として渡米。新技術を導入し「最近野球術」を著した。また全国中等学校野球大会及び全国都市対抗野球大会の実現を企晝推進した。1879〜1936年
6 1959年 特別表彰 押川 清 おしかわ きよし 初のプロチーム「日本運動協会」を創設
早稲田大学野球部草創期の選手。後に球界の長老として敬愛される。1920年日本運動協会を結成。プロ野球発生の先駆者となる。1881〜1944年
7 1959年 特別表彰 久慈 次郎 くじ じろう 早大・函館オーシャンの名捕手
早稲田大学在学中より名捕手として知られ、社会人野球の育成に努めた。1939年球禍に会い札幌球場で42才の生涯を終えた。1898〜1939年
8 1959年 特別表彰 沢村 栄治 さわむら えいじ 初期プロ野球界不滅の大投手
東京ジャイアンツ発足当時の投手。再度の渡米に活躍。1937年日本野球連盟最初の最高殊勲選手に簡抜され、その名声は創生期の象徴として球史を飾る。1917〜1944年
9 1959年 特別表彰 小野 三千麿 おの みちまろ 対大リーグ初の勝利投手
慶應義塾、三田倶楽部、大阪毎日野球団の投手として活躍。1922年大リーガーを迎えこれを破り日本人初の勝利投手となる。後年運動記者として令名を博した。1897〜1956年
10 1960年 競技者表彰 ヴィクトル・スタルヒン びぃくとる すたるひん プロ野球初の300勝投手
ロシア生まれ。北海道旭川中学で野球選手となる。強速球とカーブをもって巨人軍(東京ジャイアンツ)の第一次黄金時代の主力投手として活躍した。高橋ユニオンズに在職中日本最初の300勝投手となる。1916〜1957年
11 1960年 特別表彰 飛田 忠順 とびた ちゅうじゅん 穂州の名で健筆をふるった早大名監督
早稲田大学監督として黄金時代を作り終始学生野球の発展に力をつくし、健筆を用いて野球の鍛練的精神を高唱した。1886〜1965年
12 1960年 特別表彰 河野 安通志 こうの あつし 早大初渡米後ワインドアップ投法を導入
1905年早稲田大学投手として渡米、近代的投球術の始祖となる。技術規則に精通。職業野球の先覚者であり球界の指導に生涯をさゝげた。1884〜1946年
13 1960年 特別表彰 桜井 彌一郎 さくらい やいちろう 第1回早慶戦勝利投手
慶應義塾大学の投手兼強打者として初期早慶試合にチームの中心となり、三田クラブを率いて野球界の元老として敬愛された。1883〜1958年
14 1962年 競技者表彰 池田 豊 いけだ ゆたか 学生・プロの名審判
早稲田大学の名内野手として大正六・七年極東選手権に優勝。卒業後は近代審判技術の体得につとめ、昭和十二年から二十三年まで日本野球連盟審判長として、その向上をはかり明快な審判ぶりを発揮した。1893〜1952年
15 1962年 特別表彰 市岡 忠男 いちおか ただお 職業野球連盟初代理事長
早稲田大学の主将・捕手として名声高く、後に監督を勤め、昭和六年に行われた日米野球によってわが国に職業野球の機運を作り、昭和十一年日本職業野球連盟創立とともに初代理事長として活躍し、今日の隆盛の道を拓いた功労者である。1891〜1964年
16 1963年 競技者表彰 中島 治康 なかじま はるやす プロ野球初の三冠王
松本商業。早大を経て東京巨人軍に入り4番打者として豪快な打力を発揮し昭和13年春秋を通算し、打率3割5分3厘、本塁打11本、打点63で最初の三冠王となり、打撃王の名声を高めた。1909〜1987年
17 1964年 競技者表彰 若林 忠志 わかばやし ただし 七色の変化球を投げた頭脳派投手
頭脳的投球と変化球により投手としての名声を法政大学および阪神タイガースの優勝によって高め、投手生活20有余年プロ野球人として熱愛の生涯を捧げた。1908〜1965年
18 1964年 特別表彰 宮原 清 みやはら きよし 社会人野球協会初代会長
明治三十六年早慶野球開始当時の慶大主将。同野球部の発展に盡力し、昭和二十四年初代日本社会人野球協会長として社会人野球の名声を世界に高めた。1882〜1963年
19 1965年 競技者表彰 川上 哲治 かわかみ てつはる 打撃の神様、V9達成の巨人監督
打撃王として努力精進。十八年間の通算打率3割1分3厘。豪快な打法から放たれる弾丸ライナーは賞賛の的となる。最高殊勲選手三回。首位打者五回(東京巨人軍一塁手)。1920〜
20 1965年 競技者表彰 鶴岡 一人 つるおか かずと 南海黄金時代を築いた名監督
法政大学、南海を通じて攻守両全の内野人として独特の風格を発揮し、通算打率2割9分5厘、最高殊勲選手3回、南海監督として名声を高めた。1916〜2000年
21 1965年 特別表彰 井上 登 いのうえ のぼり 第2代コミッショナー
プロ野球創生時からこれに強い愛着心を持ち、側面から熱心に指導した。最高裁判事退任後、昭和31年から6年間コミッショナーに就任し、明快な裁定を下した。1885〜1971年
22 1965年 特別表彰 宮武 三郎 みやたけ さぶろう 投打に活躍した学生野球のヒーロー
打力の人として東京六大学黄金時代に慶応の全盛を誇り、神宮球場場外本塁打を放つ。剛速球をもって投手をつとめ、卒業後東京クラブ、阪急の主力打者であった。1907〜1956年
23 1965年 特別表彰 景浦 将 かげうら まさる 猛打タイガースの強打者
松山商業、立教を経て職業野球創設期に「投」の沢村に対照して、「打」の景浦と並称された長距離打者であった。強肩を利して投手をもつとめ、豪放な性格で人気を集めた。1915〜1945年
24 1966年 特別表彰 守山 恒太郎 もりやま つねたろう 一高の名サウスポー
1902年第一高等学校第二次黄金時代の左投手として横浜外人を完封。猛練習にはげみ攻守ともに名声を博した。1880〜1912年
25 1967年 特別表彰 腰本 寿 こしもと ひさし 慶大黄金時代の名監督
慶応、大阪毎日球団で内野手、好打者。大正十五年慶大野球部監督となり、慶大黄金時代に七度優勝。早大の飛田監督とともに名監督といわれ渡米4回。選手を大成し、和製マグローと賞讃された。1894〜1935年
26 1968年 特別表彰 鈴木 惣太郎 すずき そうたろう プロ野球草創期日米野球の交流に尽力
青年の頃対米貿易のため渡米中、アメリカ野球の全般にわたり実地に研究を重ね、その豊富な知識によりわが国球界を指導した。正力松太郎氏の大リーグ招聘に努力。更に日本プロ野球創立に盡し長年プロ野球界の要職に歴任した。特に終戦後、進駐軍と折衝して甲子園、西宮、後楽園の軍接収の早期解除に大きな功績を残した。1890〜1982年
27 1968年 特別表彰 田辺 宗英 たなべ むねひで 後楽園スタヂアム第4代社長
小林一三の弟。昭和11年プロ野球創立に引つヾき兄らと共に都心に後楽園スタヂアムを建設し、翌年後楽園野球クラブ(イーグルス)の結成に盡した。その生涯を野球拳闘その他広く一般体育の発展のために捧げた功績は顕著である。1881〜1957年
28 1968年 特別表彰 小林 一三 こばやし いちぞう 宝塚運動協会・阪急球団結成
三井銀行を振出しに実業界に入り、昭和2年阪神急行電鉄社長に就任。多年に渡り政財界に活躍し、大きな足跡を残した。大正2年大阪豊中に野球場を設置。大正13年わが国最初のプロ野球芝浦野球協会を引つぎ、宝塚野球協会を結成。昭和11年阪急野球団(阪急ブレーブス)を創立。翌年5月、西宮球場を建設し、わが球界に大いに貢献した。1873〜1957年
29 1969年 競技者表彰 苅田 久徳 かりた ひさのり 華麗な守備の名二塁手
法政大学では名遊撃手として、若林投手らと同大学の黄金時代を築いた。昭和9年巨人軍結成に参加。翌年東京セネタースへ移り二塁手として活躍した。走打にも優れた天分を示したが、その堅実 華麗な守備は抜群で観衆を陶酔させた。選手引退後は、監督、コーチ、審判員を歴任し、斯界に尽した。1911〜2001年
30 1969年 特別表彰 三宅 大輔 みやけ だいすけ 巨人、阪急の初代監督
慶応大学、三田クラブ、東京クラブ等で、名選手として活躍し、復活早慶戦当時の慶大監督、また六大学初の専属審判等、当時球界の指導的役割をつとめた。我国プロ野球誕生に参画し、巨人軍初代監督、続いて阪急の監督に就任した。戦后も各球団の技術指導につくし、野球技に関する多くの書物を著した。1893〜1978年
31 1969年 特別表彰 田部 武雄 たべ たけお 攻走守揃った天才的プレーヤー
少年時代から天才的名選手とうたわれ、広陵中学、明治大学で活躍。巨人軍第一回アメリカ遠征に加わり、小躯ながら天与のバネと俊足を利して105試合に110盗塁と云う快記録を樹立、沢村、苅田らと共にアメリカで万丈の気を吐いた。又大学時代、捕手以外の全ポジションをこなす万能選手振りを発揮したことは有名である。1906〜1945年
32 1969年 特別表彰 森岡 二朗 もりおか じろう 日本野球連盟初代会長
昭和11年、プロ野球創立に参画し、大東京軍副会長として洲崎球場建設に尽力した。16年日本野球連盟初代会長となり、戦時下のきびしい悪条件の下で、プロ野球最高指導者として敏腕を奮い、全球団の運営と秩序維持に尽瘁し、昭和19年プロ野球休止に至るまで軍首脳部と折衝をつづけてその存続につくした。1886〜1950年
33 1969年 特別表彰 島田 善介 しまだ ぜんすけ 慶大・三田倶楽部名捕手
慶応大学時代、名捕手として、対早大、一高戦、海外遠征等で活躍。その無類の強肩による投球は当時の野球界の呼物であった。又大正11年秋、日本チームが初めて米大リーグチームを破った時、小野投手の好投をたすけて見事なホームランを放って、球史に輝かしい一頁を飾った。日本学生野球協会の役員やゴルフ界の世話役としてスポーツ界の発展に寄与した。1888〜1955年
34 1969年 特別表彰 有馬 頼寧 ありま よりやす 東京セネタースを結成
貴族院議員、農林大臣、その他政界の指導者としての活躍は有名であるが、文化スポーツにおける造けい深く、昭和10年プロ野球東京セネタースを創立し、西武鉄道と提携して上井草球場を建設した。日本野球連盟、日本野球報国会等の相談役を歴任。日本プロ野球発生当初から戦時中止に至るまで終始その育成発展のため献身した。1884〜1957年
35 1970年 競技者表彰 天知 俊一 あまち しゅんいち 中日監督でシリーズ制覇
明大時代名捕手として鳴らし、のち東京六大学専属審判となり、早慶天覧試合を始め数多くの大試合の主審をつとめ名審判とうたわれた。戦後招かれて中日ドラゴンズの監督に就任。勝れた技術指導と情味豊かな統率力で同球団の黄金時代を築き、昭和29年には日本シリーズの制覇を獲得した。1903〜1976年
36 1970年 競技者表彰 二出川 延明 にでがわ のぶあき 初代パ・リーグ審判部長
俊足好打の名外野手として明大、全大阪等で活躍。昭和9年巨人軍結成に加わり渡米。昭和11年日本職業野球連盟結成後、審判員に転向。爾来27年間、名アムパイアとしてプロ野球の発展につくした。その機敏な行動、明快なジャッジは定評があり、数々の逸話とともにファンの人気を集めた。1901〜1989年
37 1970年 特別表彰 田村 駒治郎 たむら こまじろう 松竹ロビンスオーナー
田村駒株式会社々長として関西財界第一線に活躍した。スポーツに関心深く、特に野球を熱愛してプロ野球および社会人野球に参画し、私財を投じて、これらを育成した。昭和12年、プロ野球創生期にライオン取締役、昭和16年以降オーナーとして直接球団経営に当り、17年の永きにわたり常に率先してプロ野球発展に貢献した。1904〜1961年
38 1970年 特別表彰 直木 松太郎 なおき まつたろう 野球規則を本格的に翻訳出版
明治43年、アメリカの野球規則を翻訳出版。大正6年、日本最初の本格的な野球規則を完成した。また独自の野球記録法を考案して全国に普及しただけでなく、実戦セオリーを確立して、母校慶応チームにこれを徹底的にたたきこみ、当時来日して無敗を誇ったシカゴ大学に初めて土をつける等野球技の基礎づくりに大きな足跡を残した。1891〜1947年
39 1970年 特別表彰 中馬 庚 ちゅうま かのえ ベースボールを「野球」と訳す
明治27年ベースボールを「野球」と最初に訳した人で、又同30年には野球研究書「野球」を著作。これは単行本で刊行された本邦最初の専門書で、我が国野球界の歴史的文献と言われている。一高時代は名二塁手。大学に進むやコーチ・監督として後輩を指導。明治草創時代の学生野球の育ての親と云われた。1870〜1932年
40 1971年 特別表彰 小西 得郎 こにし とくろう 独特の話法で人気を博した名解説者
明治大学で八代目の主将をつとめ、卒業後は広く後輩を指導し、野球技術の向上に献身した。プロ野球創立以来、大東京、名古屋、松竹、大洋の各球団監督を歴任し、松竹ロビンス監督としてセ・リーグ初の優勝をもたらした。野球評論家としても一家をなし、特に実況放送を通じ独自の解説をもって全国のファンを啓発し、野球の隆昌に貢献した。1896〜1977年
41 1971年 特別表彰 水野 利八 みずの りはち 用具の生産・改良に尽力
日露戦争から帰還して、わが国の将来にスポーツ普及の必要を痛感し、明治39年美津濃商店を創立。当時未開発のスポーツ用具の研究生産に没頭するとともに、率先して実業団や中学、高専の野球大会を主催して、今日の都市対抗野球や甲子園大会の先鞭をつける等、生涯をスポーツ振興に献身した。遺志により水野スポーツ振興財団が設立された。1884〜1970年
42 1972年 競技者表彰 石本 秀一 いしもと しゅういち 広島カープ初代監督
大正初期、広島商業の投手として全国大会で活躍。同12年から母校の監督となり、卓抜した精神教育で選手を指導し、永らく同校に栄誉をもたらした。のちプロ野球界に入り阪神、金鯱、旧大洋、旧西鉄、太陽、広島の監督を歴任。また数球団のコーチをつとめた。多年に亘り球団の指導強化につくした功績は大きく、その門下から数多くの逸材が生れた。1897〜1982年
43 1972年 特別表彰 中野 武二 なかの たけじ 審判の権威と信頼を確立
明治30年代一高の名二塁手で、その好守は、旅順要塞「老鉄山」にたとえられた。当時は選手が審判をつとめたが、その厳正明確な判定は高く評価され、野球審判官の権威を確立した。卒業後常に後輩を指導して、野球精神の真髄を宣揚し、又芝浦野球協会の設立を推進して野球場を建設するなど明治から大正にかけて野球界の指導者として活躍した。1884〜1947年
44 1972年 特別表彰 太田 茂 おおた しげる 運動記者の草分け
明治36年に始った初期早慶戦を軍記物語式の名文で描写して以来、四州(志蹴)の筆名で書いた試合記事は読者の人気を独占した。又ながらく雑誌「運動界」の責任編集に任じ、鋭意野球の啓蒙に尽瘁し、生涯を野球批評のために貫き、文筆をもって学生スポーツの健全な発展に献身した。1881〜1940年
45 1973年 特別表彰 内海 弘蔵 うつみ こうぞう 明大野球部長
国文学者。明治大学教授。明治43年野球部を創設。なが年その育成強化に献身して、同校の伝統を築いた。早慶戦の20年にわたる中断を憂い、大正14年率先調停に当って、遂にこれを復活せしめ、つヾいて東京六大学リーグの結成を推進し成功する等生涯を通じ野球の健全な発展に寄与した。1872〜1935年
46 1973年 特別表彰 天野 貞祐 あまの ていゆう 学生野球協会第2代会長
カント哲学の権威で一高校長。文部大臣、日本育英会長などを歴任。少年時代から野球を熱愛し、50余年の教育生活で常にスポーツ精神の尊さとその実践の必要を説きつヾけた。安部磯雄についで第二代学生野球協会の会長となり、戦後学生野球の復興と秩序の確立に尽瘁し、学生野球憲章の制定、学生野球会館の創設など多くの業績を残した。1884〜1980年
47 1973年 特別表彰 広瀬 謙三 ひろせ けんぞう スポーツ記録の第一人者
大正初年から運動記者となり、苦学力行してあらゆる競技に蘊奥を極めた。プロ野球創立後公式記録員となり、黙々と精進し、野球規則、記録集計の権威者となった。その抜群の記憶力と正確な判断力は、運動界で生き字引と尊敬されるに至った。名著「日本の野球史」はじめ貴重な文献を残した。1895〜1970年
48 1974年 競技者表彰 藤本 定義 ふじもと さだよし 29年で6球団を指揮した名監督
松山商、早大の投手として活躍。又勝れた指導力で中等学校や実業団の強チームを育成した。昭和11年、巨人軍の監督となって同軍不動の地位を築き上げ、多くの俊英を育てて、プロ野球隆盛に貢献した。戦後も太陽、金星、大映、阪急、阪神各球団を指揮し、名実兼備の大監督とうたわれ、50年にわたって野球界につくした功績は誠に偉大である。1904〜1981年
49 1974年 競技者表彰 藤村 富美男 ふじむら ふみお 猛打の初代ミスタータイガース
昭和初期呉港中学投手として名声を博し、夏の甲子園大会で優勝。タイガース結成当初入団し、のち内野手に転じ、長年にわたり一貫して同チームの主軸として活躍した。その熱烈な闘志と強打巧守はファンの絶大な人気を博して、プロ野球の繁栄に大きな役割を果した。1916〜1992年
50 1974年 特別表彰 野田 誠三 のだ せいぞう 甲子園球場の設計工事責任者
阪神電鉄の社長、会長を歴任し実業界に多くの業績を残したが、長年にわたり野球に特別の情熱を傾けた。大正12年、甲子園球場の建設に当って設計責任者となり、努力と研究を重ね、遂に日本最初の近代的大野球場の完成に成功。爾来全野球界に飛躍的な発展をもたらした。高校野球の育成にもつとめ、またタイガースのオーナーとしてプロ野球の振興に尽した。1895〜1978年
51 1976年 競技者表彰 中上 英雄 なかがみ ひでお プロ野球完全試合達成第一号
明治大学時代、六大学随一の剛球投手といわれ、リーグ優勝の立役者となる。昭和17年巨人軍に入団。たちまちエースとして頭角を現した。昭和19、21年監督を兼任し、戦中戦後の悪条件のもとでチームの主軸として活躍を続けた。のち自己の不調を克服して独自のスライダーを編み出し、プロ球界を風靡した。昭和25年6月、日本プロ野球最初の完全試合を達成。1918〜1997年
52 1976年 特別表彰 小泉 信三 こいずみ しんぞう 学徒出陣壮行早慶戦実施
慶応義塾大学の塾長。東宮ご教育掛を歴任した偉大な教育者。庭球の名選手であると共に、野球はじめスポーツ全体に深い愛情と広い識見を持つスポーツマンであった。戦時下学生野球が続行不能に瀕したとき、毅然として非常時局におけるスポーツ精神の高揚を力説し、昭和18年秋万難を排して学徒壮行早慶戦を決行して、出陣学生らへのはなむけとした。戦後も学生野球の指導者としてその発展に献身した。1888〜1966年
53 1977年 競技者表彰 水原 茂 みずはら しげる 巨人第2期黄金時代の名監督
高松商業在学中、投手、三塁手として再度の全国優勝に貢献し、のち慶応義塾に進んで、ますますその力を発揮し投・打・守に活躍した。特に堅実華麗な三塁守備は六大学の花といわれた。続いて巨人軍に参加し、長年にわたり名三塁手としてプロ野球に君臨した。戦後巨人の監督に就任して、同軍の黄金時代を築き、また東映、中日の監督を歴任してチームを強化育成。その大胆にして緻密な指導力は世上に高く評価された。1909〜1982年
54 1977年 競技者表彰 西沢 道夫 にしざわ みちお 14歳でプロ入り、投打に活躍
名古屋軍のテスト生として14歳でプロ球界に入り、本格派投手に成長した。昭和17年大洋軍(旧)と闘い、相手チーム野口二郎と共に28回の延長試合に完投の記録を樹てた。戦後打撃に精進して有数のホームラン打者となり、その鮮やかな一塁守備とともにプロ野球を代表する名選手として人気を集めた。のち中日ドラゴンズの監督をつとめ、続いて野球評論家として活躍した。1921〜1977年
55 1977年 特別表彰 森 茂雄 もり しげお 早大監督で9回優勝
松山商業、早稲田大学で強打の内野手とうたわれ、また大阪タイガース、イーグルスの初代監督として采配を揮った。戦後10余年間早大の監督をつとめ、六大学リーグ優勝9回の記録を樹立し、又多くの人材を育成した。その後、大洋球団社長、川崎球場社長を歴任。なが年にわたって野球界に多くの業績を残した。1906〜1977年
56 1977年 特別表彰 西村 幸生 にしむら ゆきお 草創期のタイガースを支えたエース
関西大学野球部黄金時代のエースであり、東京六大学チームを連破し万丈の気を吐いた。大阪タイガースに入団。主戦投手として年度優勝の立役者となり、特に沢村投手との対決では多くの名勝負を生んで当時の野球ファンを魅了した。わずか3年間のプロ野球生活であったが、大きな業績と共に強い印象をのこした。1910〜1945年
57 1978年 競技者表彰 松木 謙治郎 まつき けんじろう 初代タイガース主将、猛打で沢村と対決
敦賀商業から明治大学に進み、不断の練習と不屈の闘志で六大学リーグ屈指の強打者となった。大連実業団を経て昭和11年大阪タイガースの結成に参加。主将、一塁手、先頭打者としてチームの主動力となり「打倒沢村」の宿願を果して、昭和12、13年度の黄金時代を築いた。戦後には阪神、大映、東映等の監督を歴任。親分肌の人柄と卓越した指導力は選手の信望を集め、多くの俊英を育てて球界に貢献した。1909〜1986年
58 1978年 競技者表彰 浜崎 真二 はまざき しんじ 48歳で投げた小さな大投手
神戸商業、慶応大学、満州クラブを通じて、常に投打の主軸となって活躍を続けた。特に昭和2年秋の早慶戦完封勝利。41才で満倶のエースをつとめて全国制覇した昭和16年の神宮大会などの好投は有名で、身長150センチの小躯ながら小気味よい切味で、長年球界の桧舞台に君臨した名投手である。戦後、阪急、高橋、国鉄等プロ球団の監督を勤め、引退後は評論家として率直な批評や苦言を呈して「球界のご意見番」と評価された。1901〜1981年
59 1978年 特別表彰 伊丹 安広 いたみ やすひろ 早大の頭脳的名捕手
佐賀中学から早稲田大学に進み、攻守兼備の名捕手とうたわれ、卒業後も東京クラブ、六大学の審判等で活躍した。昭和15年から母校早大の監督となり、戦時下の学生野球存続に尽し、戦後には学生野球・社会人野球の振興につとめた後、明治神宮外苑長として多くの困難と障害を克服して、野球場をはじめスポーツ施設の改修拡充を行って、学生野球、プロ野球の共存共栄を実現したほか、野球界全体の発展に著しい功績をのこした。1904〜1977年
60 1978年 特別表彰 吉原 正喜 よしはら まさき 巨人第1期黄金時代の強肩捕手
熊本工業の捕手で主将をつとめ、甲子園の全国大会や秋の神宮大会で輝かしい成績を残した。昭和13年巨人軍に加入。直ちに正捕手に抜擢されて、スタルヒン、沢村らの女房役をつとめ、弱冠ながら能くその責を果した。強肩・俊足・攻守に勝れ、特に闘志あふれるプレーはチームを引締め、ファンの人気を集めた。前後4年の活躍であったが、その間しばしば最高殊勲選手にも選ばれ、創成期のプロ野球で忘れがたい名捕手である。1919〜1944年
61 1978年 特別表彰 岡田 源三郎 おかだ げんざぶろう 全ポジションを守った明大万能選手
少年時代からスポーツ競技に秀で、明治大学では捕手を始め全守備位置をこなす天才ぶりを発揮した。大正12年同大学の監督となり、独特の養成法で多くの名選手を育成して黄金時代を築いた。金鯱軍の初代監督としてプロ野球にも参与したが、大正・昭和を通じ、野球技術の指導に熱情を傾け、コーチとしての足跡は殆んど日本全土に及んだ。81才の全生涯を野球一筋に生き、斯界の発展向上に貢献した。1896〜1977年
62 1979年 競技者表彰 別所 毅彦 べっしょ たけひこ 310勝をあげた南海、巨人のエース
滝川中学の剛球投手で有名。昭和17年秋プロ球団南海に入団したが、戦後大いにその天分を伸ばし、一リーグ時の南海再度の優勝の立役者となる。24年巨人に入団後ますます技倆円熟し、長年に亘り投手陣の主軸となって健闘。スタルヒンの生涯記録を抜いて通算310勝の大記録を樹立した。現役引退後もコーチ、監督を歴任し後進の育成、指導に献身した。1922〜1999年
63 1979年 特別表彰 平沼 亮三 ひらぬま りょうぞう 東京六大学野球連盟第2代会長
明治、大正、昭和を通じ、スポーツの育成に熱情を注ぎ、各種球技団体の会長を歴任し、広く「アマチュアスポーツの父」と尊敬された。 明治25年慶応義塾野球部創設時の初代幹事をつとめ、又三塁手として活躍。同大学野球部の長い伝統の基礎を作った。 昭和7年から東京六大学野球連盟第二代会長となり、非常時下における学生野球の運営に尽すいした。1879〜1959年
64 1979年 特別表彰 谷口 五郎 たにぐち ごろう 大正時代の早大エース
大正9年秋早稲田大学に入学。飛田監督の指導を受けて、心技とも格段の進境をとげ、球界屈指の大投手となって同大学野球部の黄金時代を築いた。三田・稲門戦では三田の名投手小野との一騎討で数々の名勝負を生み、球史に不朽の一頁を残した。卒業後は大連実業団の柱石となって長く満州球界に貢献。戦後には社会人野球やプロ球界で後進の指導につとめた。1901〜1980年
65 1980年 競技者表彰 大下 弘 おおした ひろし 「青バット」の天才打者
昭和20年秋プロ野球復活と共に新球団セネタースに入り、東西対抗に初出場。たちまち猛打を揮って注目を集めた。翌21年戦前の記録を大きく更新して本塁打王となり、その後も華々しい活躍を続けて、川上哲治と共に大打者としての象徴的存在となった。同27年西鉄に移り、同チーム最盛期の主軸となる。現役引退後は阪急、東映、大洋のコーチ、監督を歴任。また少年野球の育成にも情熱を傾けた。1922〜1979年
66 1980年 競技者表彰 小鶴 誠 こづる まこと シーズン51本の本塁打王
昭和17年、プロ野球名古屋軍に加入。強打者として頭角を現わしたが、戦後大いにその真価を発揮した。同24年大映で首位打者を獲得。翌25年松竹に移って51本の日本記録で本塁打王、打点王となり最高殊勲選手に選ばれた。その打撃フォームと強打振りは米大打者ジョー・ディマジオに擬せられ、長らくファンを楽しませた。その後、広島、国鉄、阪神等で活躍。後進の指導に努めた。1922〜2003年
67 1980年 特別表彰 千葉 茂 ちば しげる “猛牛”といわれた巨人名二塁手
松山商業時代夏の甲子園大会で優勝。昭和13年春巨人軍に入団。爾来二塁手三番打者で健斗し、戦前の同軍黄金時代の主戦力となる。戦後もチームの主軸となって活躍を続け、名二塁手として不動の地位を築いた。終始チーム全体の昂揚を念じ、堅実無比な守備と有効適切の強打によって、長期間にわたり同軍安泰のために大いに貢献した。のち近鉄バファローズの監督をつとめ、引退後野球評論家となる。1919〜2002年
68 1981年 競技者表彰 飯田 徳治 いいだ とくじ 1246試合連続出場
横浜浅野中学の投手四番打者で活躍。東鉄管理局の主力打者で昭和17年21年の都市対抗野球大会に出場、打撃賞を獲得した。22年南海ホークスに入団。攻守走三拍子揃った名一塁手としてチームの黄金時代の一翼を担った。特に23年秋から33年5月までの10年間に樹立した1246試合連続出場という前人未到の大記録は高く評価された。のち国鉄、サンケイ、南海のコーチ、監督をつとめ、誠実な人柄と指導で信望を集めた。1924〜2000年
69 1981年 競技者表彰 岩本 義行 いわもと よしゆき 神主打法で1試合4ホーマー
昭和7年広陵中学から明治大学に入学。豪快なプレーで神宮球場の人気を集め、卒業後南海球団に加入。戦時下のプロ野球界で活躍した。戦後37歳でプロ野球に帰り咲いたが、持前の強打力は少しも衰えを見せず、松竹ロビンス優勝の立役者となり、また一試合4本塁打18塁打の快記録をつくった。29年30年の都市対抗野球大会に出場して健在ぶりを発揮し、31年から41年まで東映、近鉄の監督、コーチを歴任して後進の指導に尽くした。1912〜2008年
70 1981年 特別表彰 佐伯 達夫 さえき たつお 第3代高野連会長
大正初期、市岡中学、早稲田大学の三塁手で活躍。豊中、鳴尾、甲子園と続いた全国中等学校野球大会(現高校野球大会)に大正9年以来役員として参画し、戦後高野連の創設に伴い副会長、会長を歴任。高校野球は教育の一環なりとの信念に徹してこれの指導育成に専念し、高野連今日の隆盛を築いた。また、大学、社会人野球の指導者としてその発展に貢献。87歳の生涯を通じて日本の野球界に残した功績は偉大である。1892〜1980年
71 1981年 特別表彰 小川 正太郎 おがわ しょうたろう 社会人野球協会結成に貢献
和歌山中学時代、中学球界不世出の名投手といわれ、昭和4年早稲田大学に入学の年、宮武、水原らと対決した早慶の熱戦は特に有名である。病気のため現役は2年で終わったが、卒業後毎日新聞社に入社、野球評論で健筆を奮った。24年社会人野球協会設立に参画し、爾来18年間理事・事務局長として協会の整備、発展に専念した。また軟式野球連盟理事、日本野球規則委員をつとめ、アマチュア球界の発展に大いに貢献した。1910〜1980年
72 1982年 特別表彰 鈴木 龍二 すずき りゅうじ セ会長を長年務め、球界の発展に尽力
昭和11年大東京軍の代表として日本職業野球連盟の結成に参画して以来、理事長、専務理事、日本野球連盟会長など要職を歴任。太平洋戦争下には軍の弾圧に屈せず、プロ野球の維持存続に力を尽した。戦後廃虚の中いち早く再建に着手。リーグを再興、やがて2リーグ制による隆盛の基礎を築いた。昭和27年セントラルリーグ会長に就任、今日に至る。昭和50年、プロ野球に尽瘁せる功により勲三等瑞宝章を贈られた。1896〜1986年
73 1982年 特別表彰 外岡 茂十郎 とのおか もじゅうろう 学生野球憲章制定に尽力
法学博士、日本学士院賞受賞、民法家族法の大家で、また学生野球育成に特別の情熱を注いだ。昭和17年から早大野球部長となり、戦時下における大学野球の存続運営に尽瘁し、18年秋の学徒出陣壮行早慶戦を敢行した。戦後学生球界の要職を歴任し、日本学生野球協会設立をはじめ、学生野球憲章の制定、神宮球場の接収解除、海外との交流など多くの業績を以て学生野球全体の秩序確立とその隆昌に貢献した。1898〜1986年
74 1983年 競技者表彰 三原 脩 みはら おさむ “魔術師”と称された名監督
魔術師と称された名監督。高松中から早大に進み、俊敏果敢なプレーでファンの注目を集めた。昭和9年全大阪の二塁手で都市対抗優勝の殊勲者となり、同年巨人軍入団。のち助監督を兼ねて草創期のプロ野球で活躍した。戦後巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトの監督を歴任、通算3248試合を指揮。その機略縦横の采配は至る所に風雲を巻き起こした。特に西鉄時代の三連覇、大洋の驚異的な日本制覇は有名である。49年には日本ハム球団社長に就任し、プロ野球の興隆につくした。1911〜1984年
75 1983年 特別表彰 内村 祐之 うちむら ゆうし 第3代コミッショナー
わが国精神医学の泰斗であると同時に偉大なスポーツマンであった。大正時代に一高、東大で不世出の名投手とうたわれた。その快腕は当時の野球界を席捲した。のち、学生野球の指導者として活躍、戦後はプロ野球最高委員となる。アメリカ野球に明るく、常に日本球界に真のスポーツマンシップを鼓吹。昭和37年にはコミッショナーに就任。球界の秩序維持に専念し、特に選手の教育と待遇の向上、組織内の整備、日米関係の調整など多くの功績を残した。1897〜1980年
76 1984年 特別表彰 桐原 眞二 きりはら しんじ 早慶戦復活に尽力した慶大主将
大正8年慶応義塾大学に入学。卒業後大毎野球団(実業団)に入る。終始遊撃手として活躍その攻守走に勝れた天才的プレイは当代随一の名手とうたわれた。大正13年慶大主将当時、大学野球リーグ戦の変則状態を歎き、明治39年以来中断されていた早慶戦の早期復活を念じて孤軍奮闘し、遂に翌14年秋19年ぶりにその復活を実現し、現在の六大学リーグ戦制度の基盤をつくった。日本野球史上一時代を劃した功績である。1901〜1945年
77 1985年 競技者表彰 杉下 茂 すぎした しげる フォークボールの大投手
帝京商、明大を経て昭和24年中日に入団。独自のフォークボールと快速球を駆使して目覚しい活躍を続け、プロ野球史に一時代を築いた。特に29年には最高殊勲選手を始め投手成績の各タイトルを独占する働きでチームにセ・リーグ初優勝を齎し、対西鉄の日本シリーズでも連投してその制覇の原動力となった事は驚異に価するものである。34年から中日、大毎、阪神、巨人のコーチ、監督を歴任した。1925〜
78 1985年 競技者表彰 白石 勝巳 しらいし かつみ 巨人初期黄金時代の名遊撃手
広陵中学では強打の一塁手。昭和11年巨人軍に入団。猛練習の末、屈指の名遊撃手となり戦前の黄金時代を築いた。堅実無比のプレーは名人芸といわれ、特に逆シングルの妙技は戦前戦後を通じファンを魅了した。25年広島カープに移り攻守の主軸で活躍。監督に就任後もチームの強化育成に尽瘁して現在のカープ球団の基盤づくりに貢献した。43年から巨人軍のコーチとなり9連覇達成に寄与した。1918〜2000年
79 1985年 競技者表彰 荒巻 淳 あらまき あつし パ・リーグ最初の100勝投手
大分経専時代、全国高専大会の決勝戦で奪三振23を記録。左腕からの快速球の威力は「日本の火の玉投手」と呼ばれた。昭和24年夏の都市対抗では星野組のエースで優勝。橋戸賞を獲得した。翌年毎日オリオンズに入団。たちまち最多勝26、防御率1位で新人王となり、同球団のパ・リーグ優勝、二リーグ制最初の日本シリーズ制覇に貢献した。その後も主力投手で活躍、昭和37年から阪急・ヤクルトのコーチを歴任、後進を育成した。1926〜1971年
80 1985年 特別表彰 田中 勝雄 たなか かつお 早大で首位打者3度のスラッガー
大正7年、市岡中から早大に入学。強打・攻守の外野手として四大学(のち六大学)リーグで活躍した。特に350匁(1313g)のバットから放つ豪快な外野柵越の長打はファンの驚嘆の的となった。大正10年アメリカ遠征中、強打者ホーンスビーの指導を受けてますますその真価を発揮し、日本最初の本格的ホームラン打者と謳われるに至った。卒業後、オール大阪や早大監督、プロ野球朝日軍の役員をつとめ、球界の発展につくした。1898〜1995年
81 1985年 特別表彰 山内 以九士 やまのうち いくじ 野球規則・記録の研究、整備に貢献
慶大在学時代、直木松太郎氏に師事して、ルールの研究に没頭。昭和15年に広瀬謙三氏と共同で「日本野球規則」を編纂した。また戦前戦後を通じてプロ野球規則委員、公式記録員として活躍を続け、創生時からの記録を整備して集計の基礎を確立したほか、ベースボール・レディ・レコナー(打率早見表)、ヤマウチ式スコアーブック、勝敗投手の細則等を作成するなど多くの業績を残して球界の隆盛発展に寄与した。1902〜1972年
82 1986年 特別表彰 中河 美芳 なかがわ みよし 名物の守備で活躍した投手兼一塁手
鳥取一中、関大を経て昭和12年8月、イーグルス(黒鷲)に入団。左腕投手兼一塁手、しかも中心打者として活躍。特にどんな難球でもタコの吸盤のように吸い取る完璧なまでの一塁守備はプロ野球の名物になり、多くの野球ファンを球場に引き付けた。戦火に散ったためわずか5年間のプロ野球生活であったが人々に強い印象を残した。1920〜1944年
83 1986年 特別表彰 松方 正雄 まつかた まさお タイガース初代会長
維新の元勲松方公爵の四男で、早くからアメリカで教育を受けた。ペンシルベニア大学では俊足の二塁手として活躍し、帰国後は関西財界の重鎮として多くの役員を歴任したが、昭和10年にタイガース初代会長に就任するや巨人に匹敵するチーム作りに専任し、名門タイガースの基礎を築いた。また日本職業野球連盟の初代副総裁として、草創期のプロ野球の発展に尽くした。1868〜1942年
84 1987年 特別表彰 藤田 信男 ふじた のぶお 法大初優勝監督
法政大学名誉教授。大正11年法大入学、監督として昭和5年秋東京六大学リーグ戦に初優勝して以来昭和10年春まで四度優勝第一期黄金時代を築く。後、学生部長となり、一貫して母校野球部の強化に努めるとともに長きにわたって学生及びアマチュア球界の要職にあってその発展に尽すいし、野球技術向上のため国際交流にも力を入れるなど我国野球界全体の健全な発展のため今なお活躍を続けている。1903〜1992年
85 1987年 特別表彰 山下 実 やました みのる 慶大黄金時代の強打者
第一神港商業時代完成したばかりの甲子園球場で大本塁打を放ち「怪物」の異名をとる。東京六大学全盛時代の昭和2年慶大に進学してますます打撃の真価を発揮。その抜群の長打力は多くのファンを魅了した。在学中完全優勝を含むリーグ優勝4回に大きく貢献。卒業後は大連満倶を経て阪急の結成に加わり一塁手監督としてプロ野球の人気高揚に尽くした。1907〜1995年
86 1988年 競技者表彰 長嶋 茂雄 ながしま しげお “神宮の星”から”ミスタープロ野球”へ
六大学プロ野球を通じて史上最高の三塁手と讃えられる。立大では首位打者2回通算本塁打記録をも更新。昭和33年巨人軍に入ると本塁打、打点の2冠を獲得して新人王となる。V9の牽引力となり、好機をのがさぬ打撃とスピード感みなぎる守備でファンを魅了しつづけた。数々のタイトルに輝いて昭和49年に引退。51、52年に同軍監督としてリーグ優勝を果たす。1936〜
87 1988年 競技者表彰 別当 薫 べつとう かおる 天性の好打者、4球団の監督歴任
甲陽中学の剛球投手として甲子園大会で活躍。慶大でも投手、外野手、4番打者で17年春のリーグ戦では首位打者となるなど六大学を代表する強打者であった。全大阪をへて超大型新人として23年阪神に入団。オープン戦の6ホーマーで人気沸騰。2年後には毎日へ移り本塁打、打点で2冠王となる。監督、コーチとしても多くの後進を育て、55、56年大洋球団代表を厂任した。1920〜1999年
88 1988年 競技者表彰 西本 幸雄 にしもと ゆきお 監督歴20年、8度のパ・リーグ優勝
和歌山中学から昭和13年立大へ入学。一塁手主将として活躍。卒業後全京都を経て別府星野組に入団。監督兼任で第20回都市対抗に優勝。統率力にすぐれ、35年大毎球団監督に就任するやリーグ優勝で飾り、監督厂20年間で阪急近鉄を初優勝させるなど、不撓不屈の精神で8度のリーグ優勝を達成、闘将と呼ばれる。1920〜
89 1988年 競技者表彰 金田 正一 かねだ まさいち 400勝、4490奪三振
昭和25年17才で新生国鉄スワローズに入団。早くから大黒柱として活躍しつぎつぎに投手記録をぬりかえて、球界に君臨する大投手となった。とくに対巨人 対長嶋に奮起しファンを歓喜させた。巨人に5年在籍。通算400勝、4490奪三振、14年連続20勝以上の前人未到の大記録を樹立した。49年にはロッテの監督として日本シリーズを制覇した。1933〜
90 1988年 特別表彰 横沢 三郎 よこざわ さぶろう プロ野球草創期の名審判
巧手巧打の名二塁手として大正12年秋のリーグ戦で明大初優勝に貢献した。昭和4年制度化した東京六大学専属審判員を努め、その間東京クラブの二塁手として都市対抗にも出場4度の優勝を果たす。11年プロ野球東京セネタースの結成及び戦後の新生セネタースの誕生に尽力し監督となる。のちパ審判部長として選手権、オールスターに連続出場、名審判とたたえられる。1904〜1995年
91 1988年 特別表彰 芥田 武夫 あくた たけお 早大の名外野手
早大飛田監督の精神野球で鍛練され名外野手とうたわれた。早慶戦が復活し、六大学リーグが発足した大正14年秋、首位打者を獲得。15年には主将を厂任した。満州クラブをへて昭和8年スポーツ記者として時事新報に入社。10年朝日新聞社に移ってより戦後の困難な時期を通して甲子園大会の運営に尽力された。28年近鉄の監督に迎えられ5年間采配をふるい最下位脱出を果たし、のち同球団社長となる。1903〜1987年
92 1988年 特別表彰 永田 雅一 ながた まさいち 東京球場をつくる
昭和23年プロ野球大映チームのオーナーとしてリーグに加盟すると、映画制作同様たちまち球団経営にも行動力を発揮し、24年には二リーグ分立の推進役を果たした。パ・リーグの人気高揚を願い、またフランチャイズ制の理想的な確立を求めて東京球場を建設するなど、球界の発展のため誠心誠意の情熱を注いだ。1906〜1985年
93 1989年 競技者表彰 島 秀之助 しま ひでのすけ 初代セ・リーグ審判部長
攻守走揃った名外野手として、第一神港商業の黄金期を築き、法政昭和5年秋の初優勝。7年秋の優勝にいずれも盗塁王となり貢献。10年名古屋金鯱の結成に加わり選手兼任の監督となる。13年審判員となり、25年からセ・リーグ初代審判部長。37年まで現役をつとめる。名審判の誉高く55年まで審判部長の任にあり権威の確立に大きな業績を残す。34年6月25日初の天覧試合の球審をつとめた。長く野球規則委員として野球界に尽くす。1908〜1995年
94 1989年 競技者表彰 野村 克也 のむら かつや 戦後初の三冠王捕手
京都峰山高校から南海のテストを受け昭和29年にプロ入りを果たす。捕手で4番の重責を担い、45年からは監督も兼任。巧みなリード あくなき研究心で48年にリーグ優勝を達成。53年にはロッテ、後西武へと移り55年に引退するまで捕手として闘志を燃やし不滅の3017(捕手で2921)試合出場記録を残した。捕手の三冠王、657本塁打(捕手で650)、は米大リーグにもない偉大な記録である。1935〜
95 1989年 競技者表彰 野口 二郎 のぐち じろう 延長28回完投の鉄腕投手
中京商業の速球投手。昭和12年春の選抜準優勝。夏の大会優勝。翌13年春の選抜優勝は史上初の全4試合完封の快挙で飾る。東京セネタースへ入団の14年。33勝を上げ1塁手でも出場。以後内外野手をかねて33勝、25勝、40勝、25勝と超人的奮闘に”鉄腕”と称される。昭和17年には延長28回を完投。阪急に移って21年31試合連続安打達成。引退後も長年コーチとして活躍を続けた。1920〜2007年
96 1989年 特別表彰 池田 恒雄 いけだ つねお 出版活動を通じ、野球界の発展に貢献
昭和6年、早大在学中より雑誌「野球界」の編集に携わり、12年に編集長となる。戦後21年ベースボールマガジン社を設立。出版を通して野球の発展に貢献するとともに、つねにフェアプレー精神をうったえた。後年オリンピック競技種目の出版を手がけ、東欧の各国と友好関係を築いた功により勲三等瑞宝章を授与さる。昭和61年にはソ連へ野球を紹介して新たな国際交流に尽力している。1911〜2002年
97 1989年 特別表彰 伊達 正男 だて まさお 大リーグに挑んだ早大の鉄腕投手
市岡中学では春秋各2回甲子園へ出場。早大へ進学の昭和3年春季リーグ戦に捕手5番打者で新人初の首位打者(.469)を獲得。6年春季リーグ早慶戦には投手で出場史上初の3日連投による勝利を遂げ、同年と9年に来日の米大リーグチームをも畏怖せしめ、剛腕投手として名声を博した。卒業後はオール大阪チームに参加、9年都市対抗優勝、甲子園大会の審判員、選考委員、プロ野球阪急のコーチ等を歴任。1911〜1992年
98 1990年 競技者表彰 真田 重藏 さなだ じゅうぞう ノーヒット・ノーラン2度達成
海草中学では捕手。のち三塁手で昭和14年夏の甲子園大会に優勝。投手としては15年夏の大会と同年から17年までの神宮大会を制し名投手といわれた。翌年朝日軍に入団。兵役から復帰後も剛速球とドロップは冴え25年に39勝を上げロビンスのセ・リーグ第一回優勝に貢献し沢村賞を獲得。阪神では2度目の無安打無得点試合を達成。後年、明星高校を率いて38年夏の選手権大会優勝を遂げた。1923〜1994年
99 1990年 競技者表彰 張本 勲 はりもと いさお 広角打法で3085安打達成
幼年期の大火傷で右手に負った不自由を強靭な精神力で克服しプロ野球界の左の大打者となった。浪商時代から天性の素質を見出され 昭和34年東映フライヤーズに入団。同年新人王37年MVPを獲得。広角に放つ打撃で「安打製造機」の異名をとり首位打者7回の最多記録の他、数々の打撃記録をつくった。巨人に4年在籍後55年ロッテに移籍して達成した未曾有の3000本安打は球史に輝く。1940〜
100 1990年 特別表彰 佐伯 勇 さえき いさむ 近鉄バファローズオーナー
三高、東京帝大から昭和2年現近畿日本鉄道株式会社に入社。専務取締役であった24年同社に発足した「プロ野球団設立委員会」委員長に就任。プロ野球は二リーグへと分立し新生近鉄パールス(のちバファローズ)は同年11月太平洋野球連盟に加入した。以来球団経営に腐心し創立30周年を初のリーグ優勝で飾り、球界最長の36年に及ぶオーナー在任中広い視野でプロ野球を支えた。1903〜1989年
101 1991年 競技者表彰 牧野 茂 まきの しげる 高度なチームプレーを確立
昭和21年高松商業から愛知商業へ転入、同年夏の全国大会に出場。明治大学、中日と二塁手遊撃手などで活躍し、36年から巨人軍のコーチとなる。徹底したチームプレー、新戦法を初めて導入し、近代野球を開花させた。巨人軍による史上唯一の9連覇は氏の功績大と評価される。昭和56年巨人軍コーチに復帰、日本シリーズ優勝の功労者となる。1928〜1984年
102 1991年 競技者表彰 筒井 修 つつい おさむ 審判員の3000試合出場第一号
松山商業のショート4番打者で昭和10年夏の全国大会初優勝に貢献。発足直後の巨人軍に入り、第2回アメリカ遠征に参加した。主に二塁手として華麗な守備を見せたが、重なる兵役で左手指を失い戦後は審判員に転向。積極的に審判技術の向上と信頼の獲得に努め、25年目の昭和46年9月2日、阪神?広島戦の三塁塁審で審判員初の3000試合出場を達成した。1917〜1990年
103 1991年 競技者表彰 島岡 吉郎 しまおか きちろう 神宮を沸かせた名物明大監督
明治高校を3度甲子園に出場させた後、昭和27年41歳で母校明治大学野球部監督に就任。以来総監督時代を含め37年、学生野球に対する愛情と情熱は衰えを知らず、島岡式人間力野球を結実させた。東京六大学リーグ戦優勝15回、全日本大学野球選手権大会優勝5回、日米大学野球選手権大会優勝2回を残し、素人監督ながら神宮を沸かせる名物監督となった。1911〜1989年
104 1991年 特別表彰 中澤 良夫 なかざわ よしお 春夏甲子園大会の基盤をつくる
一高三高定期戦以前の三高三塁手。明治39年東京帝大卒業、留学を終え九州帝大、京都帝大教授、京都工芸繊維大学学長など歴任。工業無機化学の日本の権威者。その間大正4年には中等学校野球大会誕生に尽くし、第一回から京滋大会委員長を、以後全国大会副委員長・委員長を経て戦後、昭和23年第二代日本高野連会長に就任。広く精神的支柱となって今日隆盛の基盤を作った。1883〜1966年
105 1992年 競技者表彰 廣岡 達朗 ひろおか たつろう セ・パ両リーグで日本一監督
実力と人気を兼ね備えた遊撃手として早大から昭和29年巨人に入団。同年112試合出場。107安打、本塁打15、打率.314で新人王となりその華麗な守備がさらに人気をよんだ。現役引退後巨人広島ヤクルトのコーチを経て、53年ヤクルト監督として球団史上初のリーグ優勝と日本一を達成した。また昭和57、58年には西武で日本シリーズを制覇し両リーグにわたる優勝で指導力を高く評価された。1932〜
106 1992年 競技者表彰 坪内 道則 つぼうち みちのり 1000試合、1000安打第一号
大東京の俊足・好守・好打の外野手として昭和11年秋季大会から出場時に監督を兼務し、26年の引退(−ゴールドスター−名古屋)まで常に第一線で堅実なプレーを続けた。弱小球団在籍で1000試合出場。1000本安打達成第一号の意義は高い。また戦中戦後もプロ野球健全化のため全力を注ぎ、昭和21年の選手会結成・育成に奮闘した。名古屋監督・西鉄・中日・ロッテのコーチを歴任後は中日寮兼コーチとして長年若手選手を見守り続けた。1914〜1997年
107 1992年 競技者表彰 吉田 義男 よしだ よしお 今牛若丸と呼ばれた名ショート
山城高、立命館大学を経て昭和28年阪神に入団。小柄な体が飛燕の如くと讃えられベストナイン9回の遊撃手最多記録をもつ。29・31年には最多盗塁を獲得。打撃においても39年に179打席連続無三新記録を作るなど優れた選球眼を誇りベストテン入り7回をはたす。まさに三拍子揃った名選手として一時代を画した。のち同球団監督に就任し昭和60年にはセパ分立後初の日本一を達成した。1933〜
108 1992年 特別表彰 吉田 正男 よしだ まさお 中京商業夏の甲子園3連覇投手
昭和6・7・8年と中京商業夏の甲子園大会3連覇達成投手として史上に燦然と輝く。特に8年準決勝戦では明石中学中田投手と見事な投手戦でともに延長25回を完投した。明大では外野手に転じたが六大学野球初の4連覇達成に貢献した。卒業後、藤倉電線の投手で復活し、14年の都市対抗野球大会に優勝、橋戸賞をも獲得しアマチュア野球史に大きな足跡を残した。39年から中日スポーツ新聞記者として野球評論で活躍する。1914〜1996年
109 1993年 競技者表彰 稲尾 和久 いなお かずひさ シーズン42勝をあげた西鉄の鉄腕エース
西鉄黄金時代を築き上げた大投手。頭脳的ピッチングと絶妙のスライダーで、新人王、20連続勝利、30勝以上4回、最多奪三振、最優秀防御率など多くのタイトルを獲得し、通算756試合276勝を達成、その鉄腕ぶりを称えられた。中でも昭和36年の78試合登板42勝や、31年から3年連続対巨人日本シリーズでの連投はファンに感動を与え、球史を飾る名勝負となった。引退後、西鉄?太平洋監督、中日コーチ、ロッテ監督を歴任した。1937〜2007年
110 1993年 競技者表彰 村山 実 むらやま みのる 2代目ミスタータイガース
関西大2年の昭和31年、大学日本一になり34年タイガースに入団。同年6月天覧試合以来巨人長嶋との対決がファンを魅了した。37、39年リーグ優勝に貢献。45年には33歳で兼任監督に就任し、戦後最高の防御率0.98を達成した。フォークボールを駆使した力感あふれるザトペック投法で最優秀選手1回、最多勝2回、最優秀防御率3回、沢村賞3回、222勝147敗、防御率2.09。1936〜1998年
111 1994年 競技者表彰 王 貞治 おう さだはる 一本足打法の世界のホームラン王
868本の本塁打記録を達成した努力の人。早稲田実業では投手四番打者で昭和32年春の選抜大会に優勝。34年巨人に入団。一本足打法のホームラン打者として9年連続日本一に貢献した。シーズン最多55本塁打。一試合4本塁打(タイ)、本塁打王15回、打点王13回、MVP9回、首位打者5回、2年連続三冠王、ベストナイン18回などプロ野球最多の記録保持者。52年第一回国民栄誉賞受賞。1940〜
112 1994年 競技者表彰 与那嶺 要 よなみね かなめ ハワイの日系二世 三拍子揃った名外野手
「ハワイ・アサヒ」、「SF49ers.」、「ハワイアン・ウォリアーズ」、「ソルトレークシティー・ビーズ」で活躍後昭和26年来日し巨人に入団。MVP1回。首位打者3回。ベストナイン連続7回受賞の名外野手一番打者。始めて見せた走塁とスライディング技術は今日まで継承され、とくに二遊間プレーを強化させた。引退後は監督で49年に中日をリーグ優勝させた。また6球団のコーチを歴任した。日系二世。1925〜
113 1994年 特別表彰 廣岡 知男 ひろおか ともお 野球のオリンピック参加に貢献
大正13年第1回選抜大会と第10回全国大会に市岡中学の遊撃手三番打者として出場。五高では第3回全国高専大会で優勝。帝大に進み昭和6年東京六大学秋季リーグ戦の首位打者となる。朝日新聞社経済部記者を経て同社社長のち会長。高邁な人柄から多くの信望を集め、59年に日本学生野球協会会長に迎えられた。平成3年には全日本アマチュア野球連盟会長をも兼務して、野球のオリンピック正式参加に貢献した。1907〜2002年
114 1995年 競技者表彰 杉浦 忠 すぎうら ただし 日本シリーズ全4戦全勝の南海エース
昭和32年六大学春秋リーグ戦優勝に貢献した立教大のエース。33年、南海ホークスに入団。下手からコントロールされた速球や大きく曲がるカーブを駆使して27勝を上げ新人王を獲得した。球史に語り継がれる34年のシーズンは38勝4敗。防御率1.40。奪三振336の超人的な成績を残し、日本シリーズでも巨人戦全4試合に登板し4連勝の史上唯一の偉業を達成した。実働13年、187勝106敗、防御率2.39。1935〜2001年
115 1995年 競技者表彰 石井 藤吉郎 いしい とうきちろう アマ球界の強打者から全日本監督へ
水戸商投手で昭和17年夏文部省主催の甲子園大会に出場。兵役を経て早稲田大に復学し、23年春季リーグ戦から強打の4番打者で活躍。6シーズン中4度の優勝に貢献し、首位打者1回、通算114安打の連盟記録をつくった。卒業後大昭和製紙に入り主力打者、主将としてチームをまとめ、28年都市対抗野球大会優勝、31年世界選手権大会3位を果たした。統率力に優れ水戸商、早大、全日本の監督を長年に亘って歴任した。1924〜1999年
116 1995年 特別表彰 呉 昌征 ご しょうせい 俊足、強肩の名外野手“人間機関車”
無類の快脚と強肩で人気を博し‘人間機関車’と呼ばれた名外野手。台湾嘉義農林の投手・外野手で春夏の甲子園大会に4度の出場を果たしファンを沸かせた。昭和12年に巨人に入団、最高殊勲選手1回、2年連続首位打者、阪神に移籍した19年には盗塁王を獲得した。さらに21年には投手もつとめノーヒットノーランの快挙を遂げた。25年毎日に移り初の実働20年を記録した。1916〜1987年
117 1995年 特別表彰 村上 實 むらかみ みのる プロ野球草創期の阪急球団代表
大阪府立旧制天王寺中学で三塁手、主将。慶応大学野球部マネジャーから阪急電鉄に入社後の昭和10年、小林一三オーナーの命を受け阪急球団創設に尽力。12年には自ら監督として指揮したこともあるが、チーム編成、選手契約など25年間球団経営面に功績を残した。25年2リーグ制移行時にも活躍、パ・リーグ理事長に就任。フランチャイズ制確立に貢献した。1906〜1999年
118 1996年 競技者表彰 藤田 元司 ふじた もとし 巨人のエースから名監督へ
慶応大卒業後日本石油に入社。昭和31年の都市対抗野球大会で29イニング連続無失点新記録を達成。橋戸賞を受賞し優勝を飾る。巨人入団の32年新人王。33、34年最高殊勲選手賞。34年最多勝を獲得。実働8年。119勝88敗。防御率2.20。コーチ、スカウトを経て2度に亘り巨人監督に就任。リーグ優勝4度、日本シリーズを2度制した。1931〜2006年
119 1996年 競技者表彰 衣笠 祥雄 きぬがさ さちお 2215試合連続出場の“鉄人”
平安高の強肩捕手4番打者で春夏の甲子園大会に活躍。昭和40年広島カープへ入団。強打のチームリーダーとして球団初を含む5リーグ優勝と3度の日本シリーズ優勝に貢献した。62年米大リーグ記録を破り2215試合連続出場記録を樹立。“鉄人”と称さる実働23年。通算2677試合、2543安打、504本塁打、打率.270、盗塁王、最優秀選手賞、打点王にも輝く。1947〜
120 1996年 特別表彰 牧野 直隆 まきの なおたか 第4代高野連会長
慶応商工。慶応大と好手巧打の遊撃手、主将として活躍。昭和9年卒業後、第8回都市対抗野球大会で全大阪の優勝に貢献。同年秋鐘紡淀川を創部。その後全鐘紡の総監督として都市対抗野球大会で25年から3連覇の偉業を達成した。一方、24年の日本社会人野球協会設立に尽力。また56年からは日本高等学校野球連盟の第4代会長として高等学校野球の発展と育成を図り、各種の改革を成し遂げた。1910〜2006年
121 1996年 特別表彰 保坂 誠 ほさか まこと 日本初ドーム球場建設
中国旧満州遼陽に生まれる。慶応大卒業後満州中央銀行を経て昭和25年(株)後楽園スタヂアムに入社。53年同社社長に就任。59年には創立50周年記念事業として画期的な屋根付き球場建設を発表。63年に東京ドームが完成した。社名も(株)東京ドームと改称し、ドーム球場の先駆者としてプロ野球の人気を支えている。1910〜1996年
122 1997年 競技者表彰 大杉 勝男 おおすぎ かつお 両リーグで1000試合、1000安打達成
岡山県関西高校卒業後丸井を経て昭和40年東映に入団 50年にはヤクルトへ移籍した 19年に亘って強打者として活躍し史上初の両リーグ1000試合出場。1000本安打を達成。通算2235試合 7763打数 2228安打 486本塁打 1507打点 打率.287。6試合連続本塁打パ・タイ記録。本塁打王2回、打点王2回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞1回。平成2年には大洋コーチをつとめた。1945〜1992年
123 1997年 特別表彰 山本 英一郎 やまもと えいいちろう 国際派の野球人として活躍
台北一中、慶応大、鐘紡で外野手として活躍し、アマ球界の審判員や野球解説者を経て、社会人野球の運営に携わった。国際派球人として知られ、平成4年野球の五輪正式競技実現には国内及び国際機関の統一のため多大な貢献を果たした。 またプロ球界とともに日本野球会議を設立し、青少年の野球人口拡大をすすめた。 平成9年日本野球連盟会長就任。1919〜2006年
124 1998年 特別表彰 中尾 碩志 なかお ひろし 速球派から技巧派へ、通算209勝
左腕速球投手の期待を受け昭和14年に京都商業から東京巨人軍に入団。15・16年には26勝。ノーヒットノーランも2度達成するなど戦前の巨人黄金時代に貢献した。戦後は剛腕一辺倒から緩急投法に妙味を発揮し23年に最多勝、沢村賞、最優秀防御率、ベストナインを獲得した。リリーフでも活躍し、32年に引退。巨人コーチ、二軍監督、スカウトを歴任。実働16年 516登板209勝127敗 奪三振1597 防御率2.48。1919〜1977年
125 1998年 特別表彰 井口 新次郎 いぐち しんじろう 和歌山中、早大の名選手
和歌山中学、早稲田大の大打者。鳴尾球場における大正10(1921)、11(1922)年の全国中等学校優勝野球大会連続優勝に貢献し、強力な打撃を誇った。早稲田大でも一年から三塁手4番打者として活躍し、明治大湯浅投手との対決でファンを魅了した。昭和4(1929)年に毎日新聞社入社後は春の選抜大会選考委員、社会人野球役員、全日本軟式野球連盟副会長として広くアマチュア球界の発展に尽力した。1904〜1985年
126 1999年 競技者表彰 中西 太 なかにし ふとし “怪童”と呼ばれた本塁打王
高松第一高校から昭和27(1952)年西鉄ライオンズに入団。“怪童”と呼ばれた西鉄黄金期の大打者で無類の飛距離を誇るホームランと好守備で人気を博した。新人王、本塁打王5、首位打者2、打点王3、最多安打2、MVP1、ベストナイン7を獲得。通算1388試合4116打数、1262安打、785打点、244本塁打、打率.307、弱冠29才で西鉄監督を兼任し38(1963)年にリーグ優勝後7球団を指導した。1933〜
127 1999年 競技者表彰 広瀬 叔功 ひろせ よしのり 名外野手で盗塁王
南海ホークスの盗塁王。4年連続盗塁王となった昭和39(1964)年には連続31盗塁の新記録、リーグ新の27試合連続安打、110得点、首位打者.366と大活躍した。通算盗塁記録は当時最多の596で常に勝利につながる盗塁に徹し、かつ高い成功率を誇った。2190試合、打数7637、安打2157、二塁打394、三塁打88、打率.282、最多安打1回、盗塁王5年連続、ベストナイン3回、南海監督歴3年。1936〜
128 1999年 競技者表彰 古葉 竹識 こば たけし カープの黄金時代を築いた名監督
カープの黄金時代を築いた名監督。日鉄二瀬から昭和33(1958)年に広島カープに入団。45(1970)年南海に移籍、盗塁王2回、ベストナイン1回獲得。コーチを経て50(1975)年にカープの監督に就任したが早くもこの年球団創立後、初のリーグ優勝を果たした。カープ在任11年でリーグ優勝4回、日本シリーズ制覇3度。62(1987)年からは3年間横浜大洋監督を務め監督通算873勝利を記録した。1936〜
129 1999年 競技者表彰 近藤 貞雄 こんどう さだお 投手分業制を導入
西鉄(解散)、巨人、中日の投手。23勝した昭和21(1946)年事故で右手中指を負傷したが不自由を克服してパームボールを会得した。現役引退後、長年コーチを務めた後、監督として中日、横浜大洋、日本ハムで指揮を執った。40年代初めには今日すでに一般化した投手の分業制をいち早く導入し57(1982)年には中日をリーグ優勝に導いた。1925〜2006年
130 1999年 特別表彰 吉國 一郎 よしくに いちろう 第9代コミッショナー
第9代プロ野球コミッショナー。平成元(1989)年から歴代最多の3期9年在任し数々の功績を残したが、中でもアマチュア球界との交流復活に尽力した功績は大きく、野球の底辺拡大や国際化をめざしプロアマ合同の全日本野球会議として発足させた。またFA制度を導入し、日米日韓交流を深めるなど球界発展に貢献した。1916〜

顕彰文は一部改変
作成・2009/12/01
更新・2016/01/18