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【特集】巨人 名選手列伝

このページでは、巨人の名選手・監督をご紹介しています。


■第1回「堀内恒夫第14代監督」
■第2回「川相昌弘内野手」
■第3回「長嶋茂雄終身名誉監督」
■第4回「王貞治第10代監督」
■第5回「藤田元司第9・11代監督」


第1回「堀内恒夫第14代監督」

略歴 1965年 甲府商業高校。ドラフト1位で巨人に指名される。
1966年 巨人入団。
新人王獲得。最優秀防御率。
1972年 MVP。最多勝。
1983年 現役引退。
1984年 巨人投手コーチ。(-1985年)
1986年 野球解説者。(-1992年)
1993年 巨人投手コーチ。(-1997年)
1998年 巨人ヘッドコーチ。
1999年 野球解説者。(-2003年)
2004年 巨人監督。

堀内恒夫・成績一覧

この選手ってどんな選手だったの?
そんな方に贈る特集です。

記念すべき第1回は、2004年新監督に就任する堀内恒夫氏。

現役時代は、王・長嶋の影に隠れてしまったが、数々の伝説を残した、
巨人を代表する投手。
高卒ながら、新人の開幕から勝ち続けた。
1966年4月14日の対中日戦でプロ入り初勝利をあげると、44イニング
連続無失点という驚異的な快投を披露。開幕13連勝という記録を樹立。
よく、巨人の高卒ルーキーが活躍すると、「堀内恒夫以来○○年ぶりの
記録です。」というのをよく耳にするが、どれほど凄かったのかが伺える。
結果的に16勝2敗防御率1.39という好成績で新人王・最優秀防御率・
沢村賞を獲得した。

堀内投手の武器はストレート。
1966年のシーズン中に後楽園球場のブルペンで、球速の測定が行われた。
当時はもちろん現在のようなスピードガンはないので、輪の中を球が通ると
球速が記録される原始的なものが使用された。
前日に完投して万全な状態でないながらも、測定に挑んだ堀内投手だったが、
たった1球輪の中を通過したボールが155キロを計測したといわれている。
ご存知の方も多いかもしれないが、現在のスピードガンは、初速、つまり
投手が投げた瞬間のスピードが計測される。
ホームペース上を通過したスピードが155キロというのは、どれほどの球速
だったか・・・。恐らく160キロは出ていたと思われる。

翌年の1967年。10月10日後楽園球場で行われた対広島戦は、消化
試合だった。
そんな中、堀内投手は力投。普通なら緊張感がなくなって気が抜けたような
試合になりかねないが、逆に力が抜けて良かったのかノーヒットノーランを
達成する。
しかも、これだけで終わらないところが凄いところ。
打っても2.4回にソロホームランを2打席連続で叩き込むと、6回にも2ラン
ホームラン。何と史上初の投手の3打席連続ホームランを達成する。

堀内投手の武器は、ストレートと話したが、カーブやチェンジアップも鋭い切れ
があったといわれている。
小学生の時代に事故で、人差し指を挟まれ、先が1センチほど切断されて
しまったというハンデを背負っていたが、親指と中指を巧みに使って落差
40センチと言われるカーブを生み出した。
1968年には、メジャー・ドジャースのベロビーチキャンプに参加。チェンジ
アップを習得して、エースの道を歩んでいく。

そんな一方で、堀内投手は、マウンドで見せる姿とは違う、一面も。
特に門限破りは有名で、寮長に見つからないように寮を抜け出しそうと後ろ
向きに歩いて出たという。
何度見つかって殴られても、門限破りは直らなかったらしい。
その他にも、やる気のない行動や数々の暴言で首脳陣や相手チームを怒らせ、
その生意気な言動から「悪太郎」というありがたくない愛称までもらっている。
さらに、現役引退後のコーチになってからも川相選手へのビンタ事件や試合中
の乱闘でユニフォームが脱げ、眼鏡が壊れるなど、マウンド外でも伝説を
残している。

話しをグランドに戻そう。
巨人は、1965年から1973年までV9を達成している。
その間、MVPは王が5回、長嶋が3回獲得している。
残りの1回が堀内投手。1972年、堀内投手は、自身初の20勝を達成、
26勝9敗、防御率2.91で最多勝を獲得した。
どうしても野手が目立ってしまい不利なMVPを王や長嶋を抑えて獲得したのは、
凄い。

V9中のエースとして活躍した堀内投手なしでは、9年連続日本一という偉業は
なかった。
1972年対阪急との日本シリーズでは、5試合中4試合に登板、2勝1敗、
防御率3.71でMVPに輝いている。
翌年の対南海とのシリーズでも3試合に登板、2勝0敗、防御率1.13という
活躍で2年連続MVPを獲得。
日本シリーズ27試合登板は歴代1位。通算11勝も稲尾和久氏と並んで歴代1位。

16年間の現役生活で11回の優勝に貢献。王・長嶋とともに活躍。巨人V9時代の
投手陣の屋台骨を支えた。
ピッチングもすごかったが、私生活も豪放で罰金の常習犯。
しかし強運の持ち主でもあり、「シリーズはあいつしかいない」と信頼され、出れば
完投勝利という具合。

何をしてもいいから、プロであればグランドで結果を出す。
本人の現役時代と同じように、ある意味厳しく、ある意味楽しい、そんな采配に
期待したい。

次回は川相昌弘内野手を予定。


第2回「川相昌弘内野手」

略歴 1982年 岡山南高校。ドラフト4位で巨人に指名される。
2003年 世界新記録の犠打を記録。
巨人コーチ就任の打診を受けて、現役引退表明するも
原監督退任で現役続行希望。
自由契約後に中日に移籍。

川相昌弘・成績一覧

第2回目は川相昌弘内野手。
本当は引退決定を受けての掲載予定だったのですが、
中日移籍が決定。(自由契約後テスト入団)
でも、約束は約束ですので・・・。

川相といえば、「バント」。
自分の打席を犠牲にして走者を進める戦法で、日本人向け
といわれるが、それでも簡単に出来そうなバントは、その技術の
素晴らしさを理解されにくく、軽視されていた。
バントばかり繰り返す川相に
「お前はバントしか出来ないのか」
と野次られたときもあったという。

しかし、メジャーリーグが放映されるようになり、さらに
ファンの目が肥えてきた現在では、ようやくバントに対する
誤解が解かれてきた。
そんな「バント感」を変えた功績も大きい。

川相は、投手として入団するが、野手に転向。
恵まれた体ではなかったが、当時の巨人はまさに投手王国。
守って勝つ野球にぴったりの「職場」を見つけた。
理想的な2番打者。
トップバッターが出て、川相が送る。
そして1点を守り抜く。1990年代の巨人をまさしく影から支えた。

過去の失敗は46回(うち6回三振)は、9割以上の成功率。
100%バントとわかるような場面でもきっちり決める技術は
川相がトップだろう。

近年は巨人打線が大きな変貌を遂げて、野球界も攻撃的な
2番打者が増加。職場は徐々になくなっていった。
そんな中、世界記録の511犠打を記録。
それまでの記録は犠飛も犠打とカウントされていたので、
その記録の素晴らしさがわかる。

バントばかり目立つが守備も素晴らしい。
ゴールデングラブも6回。
人とは違う生き方でプロになった、そんな選手だ。

(2003/11/08掲載)

次回は、長嶋茂雄終身名誉監督を予定。